芸能界からまた、昭和の灯が消えてしまいました。
かつて、グループサウンズ『ザ・テンプターズ』のボーカルで、ドラマ『傷だらけの天使』や『前略おふくろ様』など俳優としても活躍した萩原健一さんが、68歳の若さで26日に都内の病院で死去しました。
妻でモデルの萩原リカさんに最期を看取られ、ゆっくりと眠るように息を引き取った萩原さん。
私生活の破天荒ぶりと言ったら、そう簡単に語れるようなものではありません。
萩原さんは、4度の逮捕歴と4度の結婚歴がありました。
そこで今回は、萩原健一さんは生前犯した、4度の逮捕とは?また、数々の女性との浮名を流した萩原さんの妻たちについて調査していきます。
4度の逮捕を振り返る
萩原健一さん死去 最期は理加夫人に看取られ眠るようにhttps://t.co/sIV03H9sff
— ORICON NEWS(オリコンニュース) (@oricon) 2019年3月28日
テンプターズのボーカルとして1967年にデビューした萩原さん。
グループサウンズブームをけん引し、沢田研二さん率いる『ザ・タイガース』と火花を散らし、ファンも“ショーケン派”、“ジュリー派”として対立したほどでした。
俳優としても高く評価された萩原さんですが、映画やドラマ『傷だらけの天使』や『前略おふくろ様』などに主演し、『太陽にほえろ』では、新人刑事のマカロニ役で一躍注目を集めたのです。
74年公開映画の作品においては、キネマ旬報ベスト・テンで最優秀主演男優賞を受賞するなど、名俳優としての地位を確立していきました。
そんな萩原さんを襲った病は、10万人に1、2人にしか発症しないという希少がんの一つ『消化管間質腫瘍』。
胃や小腸などの消化管の壁にできる悪性腫瘍の一種で転移や再発を起こすと言われているそうです。
芸能界でも恐れられていた萩原さんですが、やはり病には勝てませんでした。
実は、萩原さんというと、4度の逮捕歴があります。
1度目は、83年4月の大麻取締法違反(所持)による逮捕。
裁判では、テンプターズのメンバーだった70年頃から海外に渡った際に大麻を入手し、吸引していたことを認めました。
2度目は、84年の酒気帯び運転による人身事故で逮捕。
おわび会見では終始ぶぜんとした表情から、反省する気がないとされ世間から激しい批判を浴びました。
85年には、当時妻だった倍賞美津子さんとのツーショット写真を撮影され、写真誌の記者とカメラマンに暴行し、書類送検される騒動を起こしています。
3度目は、04年の酒気帯び運転による交通事故において業務上過失致傷罪で逮捕。
そして4度目となる05年、主演映画を途中降板し、映画の製作委員会のメンバーに対して恐喝未遂事件を起こしています。
逮捕直前まで、萩原さんは自宅でインタビューに応じ、手錠をかけられたまま連行される姿がテレビで中継され、大きな衝撃を与えました。
萩原さんには型破りなイメージがついて回り、まさに不良たちの憧れの的になりました!
萩原健一の5人の妻たち
萩原健一さんは2011年2月に理加さんとの結婚を発表しましたが https://t.co/iXMgchinZK … 前年末から年始まで、記者を含め芸能メディア各社が萩原さんを追いました。訃報を知り、当時のことや萩原さんの声が脳裏に甦ってきました。ご冥福をお祈りいたします。 #萩原健一 #ショーケン #萩原リカ #GIST
— ムラカミ記者 (@AnimekishaM) 2019年3月28日
さらに私生活では、数々の女性と浮き名を流した萩原さん。
1975年にモデルの小泉一十三さんと結婚し、わずか3年の78年に離婚。
80年5月には女優のいしだあゆみさんと結婚したものの、萩原さんの2度目の逮捕を経たいしださんは、「もう、あきれました」とコメントし、84年3月に離婚。
87年にアントニオ猪木さんと離婚した倍賞美津子さんとは、事実婚を続けましたが、2人の関係は不倫の末の略奪愛であり、正式な夫婦に成就することはありませんでした。
96年には、ヘアメイクを担当していた女性と結婚しましたが、06年に離婚。
そして、11年2月にモデルの冨田リカ(現:萩原リカ)さんと結婚し、リカさんの公式サイトで度々、萩原さんの写真も掲載されており、24日には「私たちは時々ジムに行きます」と英語でアップされ、バランスボールに乗った2ショット写真が掲載されたばかりでした。
まとめ
今回は「萩原健一さん死去 逮捕歴と4度の結婚と5人の妻たち!破天荒すぎた人生とは?」と題しまして、萩原さんが生前犯した、4度の逮捕とは?また、数々の女性との浮名を流した萩原さんの妻たちについてお伝えしましたが、いかがでしたでしょうか?
アウトロー過ぎた、萩原さんの逮捕歴は4度にも渡りました。
数々の女性と浮名を流した萩原さんのこれまでの妻は5人で、結婚歴は4回です。
昨年、新たなレコードレーベルを設立した萩原さんは、22年ぶりのシングルを発売するなど、音楽活動への強い意欲を見せていたようです。
それでは、萩原さんのご冥福をお祈りいたし、今回はここまでにさせていただきます。
ありがとうございました。