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文化勲章受章作家・田辺聖子さんが死去、元夫・川野純夫とは?葬儀の喪主は子供?

先程、訃報が飛び込んで来ました。

人気作家で文化勲章受章者の田辺聖子さんが6日午後1時28分、胆管炎のため神戸市内の病院で死去しました。

享年、91歳でした。

今年4月に体調が優れず入院していました。

大阪市生まれの田辺さんは、1956年に発表した『』で大阪市民文芸賞を受賞

これをきっかけに本格的な作家活動をスタートさせ、恋愛をテーマにした小説や大阪弁を用いた一種の方言文学の制作に取り組み、軽妙な筆致のユーモア小説家で知られていました。

そこで今回は、偉大な作家・田辺聖子さんの生涯や元夫の川野純夫氏についてやすでに執り行われた葬儀や喪主について調査してみました。

田辺聖子さんの功績

1928年に大阪市内に生まれた田辺さんは、大阪の風俗文化に深く親しみながら育だち、後の作風に大きく影響を与えていたと言います。

幼少時は、古典文学に親しみ多くの少女小説を愛読したそうです。

戦争を経験した田辺さんは、愛国心にあふれた軍国少女としての時代を過ごし、戦争で死ぬことを本望としていたのです。

1956年の作品『虹』において、大阪市民文芸賞受賞し本格的に作家として活動することとなります。

恋愛をテーマにした小説や、大阪弁を用いた一種の方言文学の制作に取り組み、1964年に『感傷旅行』で第50回芥川賞に選出されました。

以降は、売れっ子作家として多くの執筆依頼を受けるほどに成長した田辺さん。

94年には「第42回菊池寛賞」を受賞するなど、数々の文学賞を授与されました。

また、純文学から大衆小説へと軸足を移すと、身近な設定における恋愛小説や社会風刺的なエッセイなどを精力的に執筆。

さらに、87年の第97回直木賞から04年第132回まで直木賞の選考委員を務める偉業を成し遂げています。

00年に「文化功労者」を受賞、06年には、エッセイなどをもとにしたNHK連続テレビ小説『芋たこなんきん』の原作を手がけました。

「おせいさん」の愛称で親しまれてきた田辺さんは、60年にわたった作家生活の幕を閉じたのです。

田辺聖子さんの元夫とは?葬儀の喪主は誰?

私生活では長年独身を貫いていた田辺さん。

文学仲間の川野彰子さんへの追悼文を寄せたことが縁となり、川野さんの夫で神戸で医師をしていた川野純夫さんと知り合いました。

1966年に後妻として川野さんと結婚した田辺さんですが、02年に死別してしまいます。

田辺さんと川野さんの間に子供はいなかったようです。

すでに、葬儀・告別式は近親者で行ったといい、喪主を務めたのは田辺さんの弟にあたる聡さん。

後日、東京と大阪でお別れの会を開く予定とのことです。

親交のあった作家の林真理子さんは、テレビのインタビュー収録中、田辺さんのお話をされている最中に訃報を耳にしたそうです。

林さんがデビューして間もない頃、田辺さんのご自宅に伺った際に「自分一人で建てた家」と言い、「女も自分で稼ぎ、自分で遣う」と発言していた言葉が林さんの心に響いたと言っていました。

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まとめ

今回は、偉大な作家・田辺聖子さんの生涯や元夫の川野純夫氏についてやすでに執り行われた葬儀や喪主について追ってみましたがいかがでしたでしょうか?

田辺さんは6日に91歳の生涯の幕を閉じました。

夫の川野純夫さんは、田辺さんの友人の夫であり、現在は先立たれてしまっています。

葬儀・告別式は近親者で執り行われ、後日お別れ会が開催されます。

今回はここまでにさせていただきます。

ありがとうございました。